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この国に存在する低知能で恥知らずな人々とは誰のことか?━━君が代を否定する恥ずかしい人たち【引用記事】

 国旗、国歌に反対する勢力と言えば例の「日狂組」だが、この団体の上層部はそもそも日本人ではないのだろう。
上層部あるいは組織の「先導役」は明らかに「獅子身中の虫」をねらった特亜のスパイだろう。

左翼活動は旧ソ連の支援で行われていると一般的には言われているのだが、
その実ソ連を隠れ蓑に特亜がこの国の内部からの崩壊を画策した結果だろうと思われる。
いずれにしろそのような活動はもうこの国では許されなくなる。

左翼活動が不可能になる理由は既に散々引用記事として掲載しているので、ここで書くつもりはない。
今回は「ねずさんのひとりごと」様からの全文引用で「君が代」の本当の意味と、
それを否定する「バカども」の解説をお送りする。



----------以下「ねずさんのひとりごと」様より引用----------

君が代を否定する恥ずかしい人たち
国歌である「君が代」を否定する人たちがいます。
私はこのことを、とても「恥ずかしいこと」だと思います。
日本人として情けないのです。
なぜなら彼らは「君」の意味を履き違えているからです。

「君」という漢字は、「尹」に「口」で成り立ちます。
「尹」は、横棒の部分が人間の手で、その手に「|(棒)」のようなものを持っている象形文字です。
その棒が、縦に真っ直ぐな棒なら、それは「杖」です。けれど君の縦棒は斜めにシナっています。
ですからこれは、実は「鞭(ムチ)」です。
つまり「尹」は、手にムチを持っている姿です。

そして「君」は下に「口」があります。
つまり「ムチを手にした人が口を空けて何かを言っている姿」が、「君」という漢字の字源です。
要するに「君」という漢字の字源は、手にムチを持った支配者たちが、隷民となった民衆にムチをバシバシ当てながら、「ゴラァ!お前たち、働け働け〜!」と大声をあげている。そういう姿が字源のです。

では、その「ムチをあてられている側」の民衆はどうかというと、これがまた実に悲惨です。
ちなみに、もともと支那漢字というのは、一字でひとつのことを表すのが習慣ですから、熟語がありません。
ですから「民衆」というのは日本人の造語で、もともとあるのは「民」です。

で、その「民」がどういう意味かというと、字の上にある長四角のところが、実は人間の目を意味します。
ところが目なのに、長四角の中に目玉がありません。
なぜ目玉がないのかという理由が、下にある「十」の部分で、これは古代の支那にあった、人の黒目を突いて目を見えなくするための道具です。
その道具で眼球を突いて、民衆を盲目にして、いうことを聞かせる。
だから四角の中に目玉がないのです。

もっといえば「民」の字の左側にある「|」は、城塞都市の塀です。
つまり城塞都市の塀の内側で、針で目を潰された人たちが「民」です。

こうなると「君・民」といえば、彼らの言語感覚からすれば、支配層の人たちが民衆の目をつぶして、人々にムチをあてながら「働け、働け〜!」と怒鳴りつけている。そういう姿が想起されます。
また「君が代」といわれれば、「民衆の目を潰し、民衆をムチでしばき上げる支配層の人たちの代(時代)が、いつまでも続くことを願った歌、もしくは民衆をムチでしばきあげる時代を讃えた歌、にしか、すくなくともそのタイトルからは見れないし、感じられないのです。

だから同じ日本語を話しているようでいても、もともと代々「アチラの国」の人で、もともと「アチラの国」で生まれ育ち、アチラの教育を受けて、あとから日本に帰化したような人たちにとっては、「君」の代なんて「とんでもない」し、せっかくそういう支配者たちのいる国を離れて「平和な日本にやってきたのに、君の代なんて、もってのほか」となるのです。
私達日本人と、漢字に対する言語感覚が違うのです。

では日本人ではどうかというと、日本にとって「君」は「きみ」です。
「きみ」は、「きみとボク」の「きみ」です。
では「きみ」とは何かといえば、古代の大和言葉で、「き」は男、「み」は女です。

もともと漢字には「音読み」と「訓読み」があるわけです。
音読みは「クン」、訓読みは「きみ」です。

音読は、もともと支那から漢字が渡来した際の、向こうの読み方です。
訓読みは、その漢字に「大和言葉」を宛てたもの、と解説されます。
けれどそこには、すこし言葉の補足が必要で、実際にはもともと日本語(大和言葉)があって、あとから漢字が輸入されて日本語に同化させたから、「訓読み」が存在するのです。
もっといえば、もともと日本に大和言葉があって、その文化に、あとから漢字を採り入れたから、日本には漢字に「音読み、訓読み」があります。

このことは、お隣の朝鮮半島と比較するとわかりやすいです。
古代の朝鮮半島は、もともと南部一帯は日本の領土(加羅)と、日本の属国(百済、新羅)となっていました。
ですからその影響がいまでも朝鮮半島には残っていて、ですから朝鮮語(韓国語)の語順は、日本語と同じ膠着語(こうちゃくご)です。

ところが日本には鎌倉時代に元寇がありましたが、モンゴル(元)は、日本にやってくる前に、朝鮮半島を侵略しています。
当時の朝鮮半島は高麗ですが、高麗の王朝はモンゴルがやってきたときには、王族から高官たちまで全員島に逃げてしまいました。
このため半島内には三別抄という盗賊団(まさに暴力団そのもの)がはびこり、民衆から略奪をほしいままにします。
おもしろいことに、このためモンゴルの軍勢は、半島内でむしろ民衆の味方をして、民衆を苦しめた三別抄を蹴散らすという結果になりました。

それで何が起きたかというと、モンゴルの軍勢が引き上げた時、当時朝鮮半島にいた60万人が、モンゴルの軍勢に付いて行ってしまったのです。
当時の朝鮮半島全域の人口は600万人程度ですから、なんと国民の10人にひとりが、母国を捨ててモンゴルについていってしまったのです。
「強制連行」されたのではありません。任意です。
母国にいて両班や三別抄などに略奪されたり強姦されるよりも、強いモンゴルについていくことで、新天地を求めようとしたのです。

この連中が入植したのが、いまの北朝鮮の北部あたりです。
実は、日本に攻めてきた元寇でのモンゴル軍の主力は、この60万人の「元・高麗人」たちでした。
先に元になった「元・高麗人」たちが、あとから元に服した「高麗人」たちを見下し、彼らの上に立って「高麗人」たちを指揮してやってきたのが、元寇でもあったのです。

さてこうして高麗は元に服属し、さらに李氏朝鮮になると完全に支那の属国となります。
そして朝鮮半島では、征服者たちによって、完全に言語が支那漢字に入れ替えとなりました。
ですからいまでも朝鮮半島には、古代朝鮮語による漢字の「訓読み」はありません。

日本は征服されてないから「訓読み」があるのです。
朝鮮半島は、征服されて文化が断絶しているから「音読み」しかないのです。

話を戻しますが、では「君」の訓読みは何でしょうか。
いうまでもなく、それは「きみ」です。
「きみ」は、古代の大和言葉で、「き」が男、「み」が女を意味します。

そして日本最初の男性がイザナ「キ」、最初の女性がイザナ「ミ」です。
竹取物語で、山に芝刈りに行くお爺さんが「おきな(翁)」、川で洗濯をするお婆さんが「嫗(おみな)」です。
つまり「きみ」は、もともとは「男と女」です。

そのイザナキ、イザナミの二神から、天照大御神がお生まれになり、その天照大御神からの直系の御子孫が天皇が誕生しています。これが昔の言葉で「万世一系」です。
そしてその天皇と血を分けた家族であり、おおみたからとされてきたのが「民(たみ)」です。
「たみ」というのは、これまた古代の大和言葉で、ひとことで言ったら田(た)んぼで働くみんな(み)です。だから「たみ」です。
ですから日本語の「たみ」には、共同体の仲間たちという語感があります。
そしてその「たみ」は、天皇と血を分けた人々であり、わが国最高権威である天皇の「おおみたから」です。
だから「君民一体」とされてきたのが日本です。

ですから日本人は「君民」と聞けば、「たみのことを思ってくれる偉い人たちと、田んぼで働くオラたちの仲間たちが、みんな一体なんだよ、という、すっごくありがたい言葉」という意味と普通に感じます。それが日本人の言語感覚です。

ところがいわゆる支那、朝鮮のいわゆる「漢字文化圏」の人たちには、日本人のこの感覚がむしろ理解できません。
彼らは日本人は漢字を使うから、勝手に「日本人は漢字文化圏の人々だ」と思い込んでいます。
だから「君民」と聞けば、「ムチでしばき上げる支配層と目を潰された奴隷が一体?、意味不明じゃん」としか感じられないのです。

全然違います。
日本人は、独自の日本語文化を形成していて、あとから漢字を採り入れたのです。
現代日本でも、たとえばアイデンティティとか、イメージとか、英語をカタカナにした語をたくさん取り入れています。
そしてその多くは、本来の英語の意味と語彙が異なって、実に日本的カタカナ英語に変化させて使っています。
日本人は、外来語を、日本的なものに置き換えて使っているのです。

このことは、日本人があらためて理解していかなければならない、とても大事なことです。
日本人は漢字を使いますが、その漢字には必ずといって良いほど、「訓読み」があります。
どうして「訓読み」があるかといえば、もともと日本に大和言葉を使う文化があり、その大和言葉を表記するのに際して、漢字を「あとから取り入れて、それを日本文化の一部にした」ということだからです。
つまり同じ漢字を使っているようでいて、実は、その漢字にイメージしている語彙が、漢字文化圏といわれる支那朝鮮の人々と、日本人はまったく違っているのです。

同じことは、たとえば「愛」という漢字にもいえます。
「愛って何でしょうか?」

いまの、特に若い人たちなどは、そのように質問されても、すぐに答えられない人が多いようです。
これこそまさに日教組教育の弊害そのものです。
すこしお歳を召した方、戦前戦中の教育を受けた方なら、まよわず「いとしく思うこと」と答えます。
なぜなら、「愛」の訓読みが「いとし、おもひ」だからです。

「いとし」は、相手と自分と糸を結ぶことです。
結ぶために自分から出ている糸は、全体の半分なので「絆」です。
その互いの絆を結ぶことが「結(むす)び、」です。
「むすび」は「産霊、産巣日」とも書きますが、「き」と「み」が「む」されて子が産まれます。
ですから「むすひ」はとても神聖なこととされてきました。

男女は対立するものでなく、互いの絆を固く結ぶ(産霊)ものだし、恋人を思うこと、親が子を思うこと、子が親兄弟を思うこと、故郷を思うこと、祖国を思うこと、そういうことに、わたしたちの祖先は「愛」という漢字を、あとからあてたのです。

ところが漢字圏に住む人々にとっての「愛」は、意味がぜんぜん違います。
「愛」という漢字は、久みたいな部分が「足を引きずる」で、家の中にある何かに、字のまんなかにある「心」が惹かれて、「後ろ髪をひかれる思いで心が寄せられること」です。
そして足を引きずられ、後ろ髪をひかれるほど強く思ったなら、それを奪う。これが「愛」という漢字の持つ意味です。

ですから昔「愛は惜しみなく奪う」というタイトルの映画がありましたが、実は「愛=奪う」という発想は、まるごと漢字圏の人たちの発想で、そもそもの日本人にはないイメージ(語感)だから、多くの日本人はびっくり仰天して、「ええっ!?、愛って奪うことなの?」と、まさに「認知不協和」を起こしたのです。
この映画を観た方も、観なかった方も、おそらくその映画の内容なんて、すっかり忘れてしまっておいでかと思います。
けれど、映画のタイトルだけは、いまだに強く印象づけられ、日本人の中に残っています。
なぜなら、それだけ日本人にとって、そのタイトルが、日本人が常識と思ってきた(認知してきた)イメージとはかけ離れた、心理的不協和を起こすものであったからです。

実は、文字や漢字、つまり言語感覚に関する、こうした事例は枚挙に暇がありません。
ですからテレビ番組などの企画会議で、「日本人のような顔をした日本人でない人」は、日本人にはない、びっくりしたようなことを言い出します。
「愛って奪うことなんだぜ!」
愛は、人をいとしくおもうことだと、何の疑いもなく思い込んでいる日本人のスタッフたちは、みんなびっくりします。それで、「この人はすごい発想をするクリエーターだ」となる。
そうではないのです。
不道徳で異文化の「コリエータ−」でしかないし、それは彼らにとっての常識でしかないのです。

国会にも「民主党」なる政党があります。
多くの日本人は、「民主党といういうくらだから、たみ(民)が主役となる政治を実現しようとしてくれるありがたい政党なのだ」と勝手に思い込み、一時は政権を委ねました。
するとどうでしょう。
彼らは彼らの都合だけの政治を行いました。
なぜでしょう。
「日本人のような顔をした日本人でない人」にとっての「民主」は、民衆の目を潰し、自分では何もしないで人々を命令通りに使役する主義です。
まさにそういう政治が行われたのです。

国会や全国の各自治体で、左前の議員と普通の日本人の議員の議論がかみ合わないわけです。
同じ言葉をしゃべっているようでいて、まるで語彙の違う言語で論争しているのです。
議論になるはずがない。

「君が代」も、結局そういうことなのです。
「君が代」のことを戦争賛美の歌である。曰く、天皇礼賛の歌である。曰く、子供達を二度と悲惨な戦争に行かせないために拒否する云々、です。
けれど、ではどこが戦争賛美の歌だとか、天皇礼賛だとか、徴兵の歌だとか、彼らは頭ごなしに、それも必死になって反対します。
けれど、では具体的に歌詞のどこがどう戦争賛美なのか、徴兵なのかと問われると答えになりません。
答えれるはずないのです。
彼らは彼らの国の語彙で「君は、自分たちにムチをあてる恐怖の支配者たち」を勝手にイメージし、その恐怖の反動として、あたまごなしに「君が代」に反対しているのです。

そんな言語感覚の違う人達が、日本に在住したり、あるいは帰化したりして、ある意味「名前だけ書いてあれば合格できる」とされる外国人枠で日本の良い大学に入り、ろくに勉強もしないで学歴だけをもって、特定団体の支援を得て国会議員になったり、大手企業の労働組合の幹部になったり、あるいは教育団体の幹部になる。

そういう人たちにとっては、日本の和歌の伝統や文化なんてわかりませんから、「君が代は、千代に八千代に」と聞けば、「ムチを持って奴隷(民)をしばきあげる人たちだけが良い思いのできる時代が千年も八千年も続くなんて、とんでもない!。ウリたちは日本が平和だと思うからやってきたニダから、絶対、そんな歌には反対するニダ」となるわけです。

彼らは、本当に支配者達が民衆の命などなんとも思わず、民衆から収奪し、民衆の目を潰し、民衆をムチでしばきあげ続けてきた国の出身者ですから、彼らにとっては、それは実体験に基づく恐怖そのものです。
だから、もう、日本人には考えられないほどの熱心さで、これに反対します。

「君」の意味を、わたしたち日本人とはまったく違う意味にしか捉えることができない人たちが、ようやく民衆が針で盲目にされるような奴隷支配の国を逃れて、やっとのことで日本に在住し、ある程度の暮らしができるようになったと思ったら、「君が代」なんて、またムチでしばきあげる連中に支配されるのではないか。
そんな恐怖が、まさに動機となって、「君が代」への猛反対運動となっているのです。

君が代の歌詞は、もともとは10世紀初めの『古今和歌集』に掲載された和歌です。
大東亜戦争という70年前の戦時歌謡や軍歌ではありません。

ただしい日本語を学ばず、そのようなきわめて低次元の言説に翻弄されて、日本人であるという自覚も誇りも失い、一緒になって「君が代はけしからん」と騒いでいる日本人は、あわれなものです。
そういう人は、たとえ教職の身にあったとしても、みずから自分が無教養で恥ずかしい人間であると宣伝してまわっているようなものだからです。

考えてみれば、そういう語句の曖昧さの中に翻弄され続けてきたのが、戦後の日本であったのかもしれません。
でも、もう次世代の時代がはじまっています。
わたしたちは、より良い未来のために、ちゃんとした真実が、子や孫達に伝わるよう、しっかりと目を覚ましていきたいと思います。

----------以上「ねずさんのひとりごと」様より引用----------

記事ID:273  611PV  2014-11-29

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