この記事のカテゴリ:余命3年時事日記(引用)

中国クライシス。ダム決壊(資料)【引用記事】

 巷間言われる「ネトウヨ」の人々の間では有名な
「余命3年時事日記」。

一般的にマスコミには一切報道されることのない
「特殊な時事問題」が非常に詳しく、
しかも「中の人」でしか判らないような問題について記載されている。

オリジナルのブログの日付順に時間のあるときにupしていくので、
御閲読いただければ幸いと思う

今回は中国ダム事情、決壊事件を参考資料として集めた
大紀元日本8月8日...7月28日。午前、中国東北部の吉林省樺甸市で、ダムが決壊し、下流にある5つの村が洪水に呑み込まれ多くの死者が出る深刻な水害事件が起きた。これらの村では、全ての建物が倒壊し、外部につながる道路は全て損壊し、通信設備も破壊され、ほとんどの村民が家を失った。当局からダム決壊の危険を知らせる通知がなかったため、多くの死者が出た。現地を訪れた市民記者の統計では、死者と行方不明者は少なくとも200人以上いるという。中国国内テレビ放送局の報道によると、溜まっていた400万立方メートルの水が30メートルの高さのダムから流れ出た。その破壊力によって、水の通過地点にあった民家はすべて破壊されてしまった。ある新築の住宅は一瞬で消え、洪水後は跡形もなく、砕けた石だけとなった。事件直後、国営新華社は豪雨により洪水が発生、ダムの一部の堤防が決壊し、13人が死亡、32人が行方不明と報じたが、1週間後の8月4日、初めて、大河ダムが決壊したことに言及した。現地の3人の幹部が問責により免職されたと伝えた。同日、新華社は、ダムの決壊で下流にある5つの村が全て呑み込まれたと初めて報道した。現地村民の要求で、市の政府や公安局と専門家が合同で現地に入り、「大河ダム」決壊の真相を調査するという。現地政府が隠そうとしている事件の真相を、上級部門が調査するように命じたのは、水害後の被災地の村民の怒りによる。ダムが決壊するとの警報を、当局が事前に出しておらず、多くの人が避難が間に合わなかった。大河ダムが位置する常山鎮では、洪水が発生した当日、幹部らは観光旅行に出かけていたため、家を失った村民は、死体を安置する場所も、夜を過ごす場所さえなかった。常山鎮では、怒った村民が犠牲者の死体を政府事務室の前まで運んで行き、政府幹部を殴った。怒った被災者数百人は、常山鎮政府や常山水利所の前に集まり、政府がいかなる対応もとらないことに抗議した。翌日午後、市の総書記が常山水利所を訪れたが、現場にいる抗議者らを無視した。事務室の中でスイカなどを食べていたところ、怒った村民が事務室に突入し、市政府の幹部らを殴った。全壊した村は、大河村、釣魚台屯、靠山村、小油坊、太平庄村の5か所。ダム決壊後、これらの村民は避難が間に合わず、ほとんどの家屋が倒壊、多くの死傷者が出た。農作物の損失も計り知れない。「高さ3メートル以上もある大水が下流へ向かって流れ出し、多くの村を呑み込んだ。大型車両やダンプカーも遠くまで流され、何度もひっくり返っていた」と靠山村の村民が語った。5つの村のうち、大河村はダムの一番近くにあったため、死者の出るリスクは一番高いはずだが、現地村民からの情報によると、実際に死亡したのは一人で、ほかの村より遥かに少なかった。

現地村民の話によると、大河ダムは国の水利局が管理するはずであったが、関係者の汚職絡みで、個人企業である樺甸市城建土地開発公司が管理を請け負った。この個人企業はダムを利用して魚養殖や発電事業をしているが、水利には詳しくなく、ダムの維持を怠けていた。最近連日豪雨であったにもかかわらず、発電と魚養殖のために、増水期に違法に貯水していたという。事故発生当日も、責任者は不在で当直も行方が分からない状態で、水位上昇の報告が間に合わなかったという。

現地を訪れて被災や事件の原因を調査した市民記者の話によると、7月27日夜、豪雨によるダムの安全を心配する大河村の村民が、ダムを見張る当直者にダムの水位をチェックするよう電話をしたが、当直者は電話に出なかった。心配した村民が実際にダムに行ってチェックしたところ、水位はすでに警戒線を遥かに超えた状況だが、当直者は寝ていた。起こされた当直者は慌ててダムのゲートを上げて放水しようとしたが、水圧がすでに大きすぎたため、ゲートは上げられなかった。当直者はすぐに水利局に電話で報告し、水利局のスタッフは午前3時ごろダムに到着した。しかし水利局は、ダムが決壊する寸前にあるとの通知を出したのは、朝6時だった。そのため、下流にある村はほとんど避難が間に合わず、多くの死者を出してしまったという。一方、ダムを見に行った大河村の村民は夜中に急いで村に戻り、村全体に通知したため、ほとんどの村民が死から免れた。しかしダム決壊の原因は、中国メディアの報道では、停電のためダムのゲートが動かず放水が出来なかったとされている。村民が具体的な死者数と行方不明者数を政府に伝えているにもかかわらず、災害発生後、政府各級職員やメディアは現場に来ることもなく、タイムリーな報道もなされなかった。政府の救済チームや救援物資が現地に到着したのは3日後だったという。 一方同じ日の7月28日、吉林省のほかの地域でも豪雨によりダムの水位が上昇した。永吉県では、決壊寸前の朝陽ダムで放水したため、低地にある鎮村では3階以下の建物は全て大水に呑み込まれた。住民に対し事前の通知がなかったため、多くの死者が出た。政府系の報道では、朝陽ダムの放水の影響で20人が死亡したとされているが、現地住民の話では死者数はそれを遥かに超えている。同県口前鎮の住民馬さんは本紙記者に、事前の通知は二つの村にしか届かなく、死亡した人数は2千人以上に上るとの見方を示した。「流された人が多く、土砂に埋まっている人も多い。現在、土砂の中から死者を掘り出している」と馬さんは話す。口前鎮のもう一人の住民が匿名で取材に応じ、鎮の古い街で1日だけで死者を載せた十数台のトラックを目撃したという。数人の救援兵が救助活動中、洪水に流されていったとも話した。これらの町では現在多くの場所で強い死臭が漂っている。多くの人に原因不明の赤い発疹が出ており、疫病の不安が広がっているという。

大紀元日本8月8日...7日夜10時ごろ、甘粛省南部の舟曲県で豪雨が発生し、8日午前零時前後に突発的な土石流が発生。中国河南省ニュースサイト中原ネット8日午後の報道では、県内3分の2は浸水し、すでに127人の死亡が確認され、2000人以上が行方不明となっている。土石流は市街地に流れ込み、土砂が河川を寸断し堰止湖を形成。5万人が被害を受けている模様。

四川大地震08年...四川省は水力発電が支那で最も盛んな地域で、ダムが特に集中しており、地震によってダム被害の報告が多数出ている。四川省に隣接する重慶市内でも17のダムに亀裂が入るなどして修理が進められている。震源地のある四川省アバ・チベット族チャン族自治州だけでも396カ所のダムが集中している。全部で391カ所のダムで破損が発見されているという。今回、死傷者が多く出た都江堰を流れる岷江の上流にある高さ156メートルの紫坪舗ダムでは堤頂部に亀裂が入り一部が沈下したため発電できない状態に陥った。紫坪舗ダムの水位はその後、異常に上がっており、極めて危険な状況となったため、水利省は14日、ダムの安全確保のために緊急水路をつくって緊急放流を開始した。地震がダムに及ぼす影響は、損壊や停電などの被害だけでなく、山崩れで土砂が大量にダム湖に流れ込んで洪水を誘発するケースや最悪のケースではダムが決壊して下流域が大洪水となる。紫坪埔ダムは2006年に完成した最新鋭の多目的巨大ダムで、総貯水量は黒部ダムの約6倍、日本最大の徳山ダムの約2倍に当たる11億1200万立方メートル。水利省は、仮に紫坪舗ダムが決壊すれば、約9キロ下流にある人口約60万人の都江堰市が、完全に水没する大災害になるとして対策を急いでいる。緊急放流のほか、既に約2000人の兵士が現場に急行し、亀裂を埋めるため、ダム上部より砂やコンクリートを投入しているという。しかし、余震の危険性も考えると、英国ブリストル大のイアンクロッキー教授は悲観的だという。総貯水量11億トンの紫坪舗ダムで、60万人以上が犠牲となるであろう大災害が起こるのだから、揚子江中流に建設した総貯水量393億トンの三峡ダムが決壊すれば、その災害は想像を絶する。今回の地震で三峡ダム地区の震度は3程度だったため、三峡ダムへの影響は小さく、各施設に異常はないという。しかし、三峡ダムは、既にひび割れが見つかっており、地震に関係なく、もともと脆いと危険視されている。三峡ダムのひび割れは修理されているものの、ひび割れしてしまったダムの根本的な修理法はなく、強度も元には戻らないという日本の専門家の話もあるそうだ。三峡ダムの下流にある、武漢、南京、上海などの揚子江流域の巨大都市群の人口は数億人だ。脆くて危険といわれている三峡ダムが決壊すれば、300億トンの津波が時速百kmのスピードで揚子江下流域を襲うという。三峡ダムが決壊すれば、死亡者数は1000万人を下らないだろう。
2013年8月22日、網易によると、中国で深刻化するダムの老朽化問題で、05年までに年平均68カ所が崩壊し、採算性が低いため運営が中止され、管理者のいないダムも多いことが分かった。中国で1950~70年代に造られたダムの寿命は約50年。造られた当時は素材の品質、建設技術とも低かったため、全国8万6000カ所あるダムのうち4万カ所以上に問題が発生。ダム崩壊の危機に計179都市が直面しているという。また、08年の四川大地震により、全国8省で計2666カ所のダムが何らかの損傷を受けた。震源となった四川省ではダム全体の3割に達し、69カ所が崩壊の危機に瀕している。中国のダム崩壊率は世界平均の4倍以上。54~05年までに年平均68カ所、計3486カ所が崩壊した。さらに、ダム運営の民営化により採算性の低いため運営が中止されるダムも続出。管理する技術者や専門要員がいないところも増えている。中国ではダム崩壊で各地で洪水や水害が多発。早急な対策が求められている。

大紀元...2010年7月28日吉林省の決壊寸前の朝陽ダムを事前通報なしに放水し、死者2000人以上。一方同じ日の7月28日、吉林省のほかの地域でも豪雨によりダムの水位が上昇した。永吉県では、決壊寸前の「朝陽ダム」で放水したため、低地にある鎮村では3階以下の建物は全て大水に呑み込まれた。住民に対し事前の通知がなかったため、多くの死者が出た。 政府系の報道では、「朝陽ダム」の放水の影響で20人が死亡したとされているが、現地住民の話では死者数はそれを遥かに超えている。同県口前鎮の住民馬さんは本紙記者に、事前の通知は二つの村にしか届かなく、死亡した人数は2千人以上に上るとの見方を示した。

新華社新華網...海南省三防弁公室によると、8日午前5時2分、海南省文昌市会文鎮西部の赤紙ダムが決壊したという。周辺の9村71企業6000人あまりの被災者が閉じ込められ、6137人が一時避難している。まだ、死傷報告はない。
ウイキペディア...1975年8月8日板橋・石漫灘ダム決壊事故

台風3号により河南省一帯は記録的な大雨となり、一日降雨量が1,060ミリと世界で最も多い降水量を記録した。豪雨に伴い流域の河川が増水、文化大革命時に建設された板橋ダム(総貯水容量:約8億立方メートル)・石漫灘ダムの巨大ダムを始め大小合わせて62箇所のダムが連鎖的に決壊した。この事故により流域の住民や救援活動を行っていた中国軍兵士ら1,827人が死亡、全体でも推定26,000人が死亡したといわれている。原因はこのダムが1957年から1969年まで実施された「大躍進政策」により人海戦術で建設され、工事全体が欠陥だらけであったのに加え、洪水吐きなどの放流設備がほとんど設けられていなかったことが挙げられる。専門家らが指摘したが中国政府は黙殺、結果的に事故につながった。
最終的には鄧小平の指示によって洪水流下の阻害要因となっていた残りのダムが爆破されることで洪水は収束した。中国国内ではこの事故を75.8大洪水と呼んで自然災害とし、ダム決壊の事実は報道が全く禁止されて隠蔽された。この事実は近年明らかになっている。

新華社...2007年4月19日甘粛省のダムが決壊。矯勇副水利相は20日、中国西北部の甘粛省で前日発生したダム決壊事故を受け、「中国各地の数千機のダムの決壊は、時間の問題だ」と語った。19日のダム決壊事故では、近隣地区一帯が冠水し、高速道路が崩壊した。また、近郊の4村の住民1700人が避難を余儀なくされた。

新華社...欠陥を抱えたダムは時限爆弾のようなものだ。ダム下流地域の住民の生活や資産は深刻な脅威にさらされているとの矯副水利相のコメントを掲載した。矯副水利相は、ダム安全・補強対策として、大小問わず中国全土のダムの修理工事を行うと宣言した。期間は3年をめどとしているが、副水利相は非常に大きな任務となると述べている。

新華社...中国全土には8万5000基以上のダムがあるが、そのうち3万基(大規模ダム200基、中規模ダム1600基を含む)に深刻な構造欠陥があるとみられている。

大紀元...2005年7月12日、大紀元は中国水源機関の報告を引用して、30,000箇所のダムが危機状態にあり、400市、1億5000万人の住民を脅かしていると伝えた。同記事によれば、1954年から2003年までに倒壊した中国のダムの数は3,484箇所であり、平均して年間71箇所が決壊している。

サーチナ...2010年5月5日湖南省の中秋田ダムが補修後3日目にダム決壊、工事費3000万円は何だった?中国・湖南省〓州市安仁県にある中秋田ダムの一部が5日未明に決壊した。同ダムは土を積み上げるアースダムとよばれる古い方式のダムで、老朽化が指摘されたため、現地政府は2009年9月から補修工事に着手。工事が終了して3日目に決壊した。チャイナネットが報じた。

2013-08-25 16:05
記事ID:143  213PV  2014-07-12

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