「量子力学と願望達成の不思議な関係」の最後に
また別の機会に「信じても叶わないこと」について書いてみようとあり、
それを書いてほしいとの事だったのでそれについて。
願い事は必ずかなうということについては、私の以前の記事「ビジョンがすべて」を参考にしていただくとして、願えば何でもかなうなら、「できないことはないじゃないか!」と考えるのはごく普通の意見だと思う。
気が早い人ならば「考えたことが全て実現するなら、『AKBのあの子』と結婚できるじゃないかあ☆^^☆」などと考えるだろうが、残念ながらこれは出来ないのである。
前の原稿でも書いたのだが、願望で人は操れないのだ。なに、簡単なこと。 あなたがAKBの誰かと結婚したいという願望を持っていても、 その誰かさんはあなたと結婚したい願望は持っていないからだ。
もちろんたまたま相手もあなたのような人と結婚したいという願望を持っていればあなたの願望は見事に実現するわけだが、
普通に考えてそのタレントはあなたを知らないのだから、あなたと結婚したいという願望を持つわけがないのだ。
つまり、人の願望を実現するために素粒子レベルでの動きがあっても、あなた以外の人の願望を実現しようとする素粒子も働いているわけだから、方向性が違えば一向にその願望は実現しないという…
きわめてシンプルな答えだ。
ところが「願望で人は操れないのだ」といっても、たとえばワ○ミなどの超が付くブラック企業では、
社長が己の金銭欲のために他人を奴隷のごとくこき使うという願望が実現してしまっている!
これはなぜなんだおかしいだろ!と思うのはまだ早い。
これは「他人にこき使われたい」と思っている人間がそのような悪人のもとに知らず知らずと集まってきてしまうだけだ。
もちろん誰だって「他人からこき使われたい」なんて“考える”わけはない。
この考えるというのがポイントで、以前の原稿でも少し書いたことだけれど、人間は考えるということでしばし自分自身のことをも騙してしまう。
潜在意識ではこき使われるのが好きな人というのは、実は驚くほど多い。
つまり「こうなったらいやだ」と考えるというのは実は潜在的にはそうなってほしいということなんだ。
もし本当にそんな事態が嫌いなら、そもそも「こうなったらどうしよう」という
“なってほしくない思考リスト”
にその事態は出てこないのだ。
なんだかものすごくややこしいことを言っているように聞こえるだろうけれど、一番わかりやすい例はクルマを運転している人で、常日頃「事故ったらどうしよう」とばかり考えていると本当に事故る。
事故を起こさない人は「絶対に事故を起こさない」という気分で運転している。
もちろんそれは自己の運転技術の過信ではなくて、
事故らないぞという心の底からの決断だ。
これを事故ったらどうしようと考える人は、そもそも事故る前提で考えてしまっているのだ。これはかなり昔流行った「マーフィーの法則」と同じで、起こっていやだと思うことは必ず起こる。
ということなんだ。
これはおそらく私なりの解釈では、マイナスの思考のほうがどうしてもパワーが強いから、こうなったらいやだという状況の「いやだ」が抜け落ちてそのまま実現する。ということだと考えている。
逆にこうなって欲しいという願望は、その裏に「どうせ願望なんてかなうわけがない」という願望が潜んでいるわけであり、マイナスの思考のほうが強いという説に従えば、かなうわけがないという願望のほうが優先的にかなっていくことになる。
だいぶ話がずれてきているが、最初の「願望でかなえられないのは何ですか」の答えは
あなたを全く好きでない相手と結婚すること─としておきましょう
もちろん「私を嫌いと言っていた女性と結婚したけど?」という意見は知っている。でも“嫌い”って思うということは、潜在的には好きってことだからね。
本当に嫌いな人は一切意識に昇りません。それどころかすぐに忘れてしまいます。
私も経験があるけれど、心の底から嫌いだった“あいつ”の顔も名前も全く思い出せない「そういえばものすごく嫌いな奴がいたなあ」としか思い出せないもの。